著作物をコピーする際、自動的に著作権使用料が課金されるシステム(
参考)が開発されたそうです。これが実用化されれば、使用料の取り逃しがなくなり作成者側の報酬が確保できるので、産業保護に役立つかも知れません。プライバシーの問題は残されているようですが、試作としては十分に評価できると思います。
しかし、このシステムの根本的な部分に対しての反論もあるようです。
「著作権使用料」に縛られて、自分のコンテンツ利用の自由さが奪われるのも納得がいかない。(中略)「コピー機での著作権使用料課金システム」が導入されたと仮定しよう。(中略)複製時に発生する著作権使用料で、コンテンツ制作者の報酬は保証され、現状より良いものになるのだろうか? 私には、そうは思えない。
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反論の要旨は、著作権管理を強化しても著作物の売り上げは現状以上にはならず、ただ利用者のコンテンツ利用を不自由にするだけである、というものです。
さらに、コピーと購入の関係について、以下ように論じています。
ひとは自分が欲しいものは、何があっても買う。だからこそiTMSをはじめ音楽のネット配信が普及し、それ以上に違法DLの環境が整ってしまっている現在でも、やはりCDは無くならないし、それなりに売れる。(引用者中略)真の意味での「売り上げ」に近づいただけに過ぎない。(中略)
コンテンツのデジタル化が進み、インフラも整備され、カンタンに良質な複製ができるようになった今、ユーザーにとっては、本当に欲しいもの以外はコピーで十分なのだ。これはもう変えられない事実として存在している。そこで、やっきになって「著作権保護」やら「違法コピー禁止」なんて言うのはナンセンスだし、むしろ大きな「リスク」をわざわざ背負いにいっているとしか思えない。
私が考える「リスク」とは、著作権保護のためのコピー規制によりコンテンツの流通路が閉塞し、情報網が分断化され、結果的には社会のイノベーションを抑制してしまうのではないかという懸念である。
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どうもこれでは納得がいきません。『コピーで十分』とするのなら、コピーに著作権使用料を課金するシステムはやはり有益ではないでしょうか。上記の文章の後に図書館の例が出てきますが、事象を単純化しすぎているきらいがあります。
また、例としてCDが無くならないことを挙げるのも不適当です。なぜなら、CDの売り上げは07年まで右肩下がりで減少し続けており(
参考1)、まだ販売数への影響について結論を出す段階ではないからです。さらに、ネットの普及も過渡期であって(
参考2)、普及が進めばCDがなくなる可能性もあり得ます。
引用記事の反論は、消費者の利便性に重きを置きすぎた結果、根本的な問題を見失っていると思います。それは、誰がコンテンツを作るのかという問題です。何とか製作者側の報酬を確保して、産業の縮小・崩壊を防がなければ、『コンテンツの流通路』以前に、そこで流通させるコンテンツ自体が無くなっていくのです。それこそ『イノベーションを抑制』することになります。
あるいは、それを淘汰とする見方もあるかも知れません。つまり、『真の意味での「売り上げ」』で生き残れるコンテンツのみが残っていけば、それで良いという考え方です。「真の売り上げ」とは恐らく、コレクションや長期利用目的での購入を指すことになると思います。しかし、多くの書籍はそんな目的の対象となり得るでしょうか。大抵が、図書館で借りるか、必要な部分をコピーして終わりだと思います。一個人にとって、必要な部分は数ページのみという書籍だって沢山あるのです。
そのような、購入の少ない書籍の製作者にとって、コピーという収入源の増加は重要なことではないでしょうか。仮に、「真の売り上げ」を十分にもつ書籍のみが生き残る方向へとどんどん社会が進んでいけば、購入の少ない書籍の製作者は今以上に厳しい状況に陥るでしょう。そうして、書籍のパターンが限られることになれば、それはもはや淘汰などとは呼べない、文化の衰退だと思います。
本当に重要なのは、制作者側が適正な収入を得られる仕組みを作ることです。コピー機の自動的課金システムのような著作権者への報酬手段の確保と、消費者の利便や管理団体の取り分は、また別の問題だと思います。