scrap

 著作物をコピーする際、自動的に著作権使用料が課金されるシステム(参考)が開発されたそうです。これが実用化されれば、使用料の取り逃しがなくなり作成者側の報酬が確保できるので、産業保護に役立つかも知れません。プライバシーの問題は残されているようですが、試作としては十分に評価できると思います。

 しかし、このシステムの根本的な部分に対しての反論もあるようです。

 「著作権使用料」に縛られて、自分のコンテンツ利用の自由さが奪われるのも納得がいかない。(中略)「コピー機での著作権使用料課金システム」が導入されたと仮定しよう。(中略)複製時に発生する著作権使用料で、コンテンツ制作者の報酬は保証され、現状より良いものになるのだろうか? 私には、そうは思えない。
『みんな、「著作権」大好きすぎやしないか…!?』日々、広告。


 反論の要旨は、著作権管理を強化しても著作物の売り上げは現状以上にはならず、ただ利用者のコンテンツ利用を不自由にするだけである、というものです。

 さらに、コピーと購入の関係について、以下ように論じています。

ひとは自分が欲しいものは、何があっても買う。だからこそiTMSをはじめ音楽のネット配信が普及し、それ以上に違法DLの環境が整ってしまっている現在でも、やはりCDは無くならないし、それなりに売れる。(引用者中略)真の意味での「売り上げ」に近づいただけに過ぎない。(中略)

コンテンツのデジタル化が進み、インフラも整備され、カンタンに良質な複製ができるようになった今、ユーザーにとっては、本当に欲しいもの以外はコピーで十分なのだ。これはもう変えられない事実として存在している。そこで、やっきになって「著作権保護」やら「違法コピー禁止」なんて言うのはナンセンスだし、むしろ大きな「リスク」をわざわざ背負いにいっているとしか思えない。

私が考える「リスク」とは、著作権保護のためのコピー規制によりコンテンツの流通路が閉塞し、情報網が分断化され、結果的には社会のイノベーションを抑制してしまうのではないかという懸念である。
『みんな、「著作権」大好きすぎやしないか…!?』日々、広告。


 どうもこれでは納得がいきません。『コピーで十分』とするのなら、コピーに著作権使用料を課金するシステムはやはり有益ではないでしょうか。上記の文章の後に図書館の例が出てきますが、事象を単純化しすぎているきらいがあります。

 また、例としてCDが無くならないことを挙げるのも不適当です。なぜなら、CDの売り上げは07年まで右肩下がりで減少し続けており(参考1)、まだ販売数への影響について結論を出す段階ではないからです。さらに、ネットの普及も過渡期であって(参考2)、普及が進めばCDがなくなる可能性もあり得ます。

 引用記事の反論は、消費者の利便性に重きを置きすぎた結果、根本的な問題を見失っていると思います。それは、誰がコンテンツを作るのかという問題です。何とか製作者側の報酬を確保して、産業の縮小・崩壊を防がなければ、『コンテンツの流通路』以前に、そこで流通させるコンテンツ自体が無くなっていくのです。それこそ『イノベーションを抑制』することになります。

 あるいは、それを淘汰とする見方もあるかも知れません。つまり、『真の意味での「売り上げ」』で生き残れるコンテンツのみが残っていけば、それで良いという考え方です。「真の売り上げ」とは恐らく、コレクションや長期利用目的での購入を指すことになると思います。しかし、多くの書籍はそんな目的の対象となり得るでしょうか。大抵が、図書館で借りるか、必要な部分をコピーして終わりだと思います。一個人にとって、必要な部分は数ページのみという書籍だって沢山あるのです。

 そのような、購入の少ない書籍の製作者にとって、コピーという収入源の増加は重要なことではないでしょうか。仮に、「真の売り上げ」を十分にもつ書籍のみが生き残る方向へとどんどん社会が進んでいけば、購入の少ない書籍の製作者は今以上に厳しい状況に陥るでしょう。そうして、書籍のパターンが限られることになれば、それはもはや淘汰などとは呼べない、文化の衰退だと思います。

 本当に重要なのは、制作者側が適正な収入を得られる仕組みを作ることです。コピー機の自動的課金システムのような著作権者への報酬手段の確保と、消費者の利便や管理団体の取り分は、また別の問題だと思います。

Trackback0
Comment0
PageTop

話題になったのが「今の家電メーカー製デジタル家電って機能ありすぎてわかんないよね」という話で、先に書いたRSSリーダーの話にも通じる。

まったくもってその通りなんだが、じゃぁ「なぜ・どうしてそうなっちゃったの?」を紐解くと、わりとシュールな要因が浮かんでくる。

ズバリ言ってしまうと既存機能に上乗せする企画は通すのが簡単だし、リスクが少ないからだ。(中略)逆に削ることは、安定した大企業の会社員としてはものすごい勇気がいる。下手すりゃ前モデルで20%あったシェアが5%とかに落ちてしまう可能性も高い(後略)

『機能やボタンが多すぎ!! 使いにくいUIのデジタル家電が発売されてしまう本当の理由』キャズムを超えろ!


 機能を削ることで売れ行きが落ちるのはどういった場合でしょうか。それは恐らく、使用者が必要としていた機能を無くしてしまったときでしょう。削るべきでない機能を削って改悪してしまったわけです。

 それに対して、機能を増やすことが『売れない決定的理由にならない』のは、多少スイッチが増えても使用者は今までの使用方法を維持できるからです。増やした部分については使っても使わなくても構わないわけです。よって、はずれがなく、売れ行きが極端に落ちる要因になることない。そこに安心感を抱いた作り手が数打てば当たる戦略で機能を増やしたことが、今の複雑なUIを作った一因かも知れません。

 こういった罠にハマらないためには、色々とすべきこと・してはいけないことがあるが、たぶん最も強く意識すべきは「合議制では良いものは作れない」という法則。デザインに関わる人が多ければ多いほど、「いろいろな意見」が寄せられてしまい、「せっかく有意義な意見を出してもらったのだから」と次々に意見を取り入れているうちに、機能だけはたくさんあるけど魂が無くて妙に使いにくいものが出来てしまう。

『"Less is more"なもの作りと合議制と』Life is beautiful


 一人の顧客が使う機能は限られています。その顧客にとって、使わない機能は存在しない方がUIとしてはシンプルで使いやすいものになるでしょう。しかし、その製品の購入者は一人ではないので、作り手は様々な仕様者を想定して製品を作らなければなりません。その結果として、機能がどんどん増えていきます。ですから、機能を減らすためには、作り手が対象とする使用者を絞り込めば良いのです。

 無駄な機能を減らすために必要なのは、作り手を減らして一人のセンスに委ねることではなく、製品ターゲットの絞り込みです。技術が進歩し、従来に比べて様々なことが出来るようになりました。だからこそ、その技術で万人にアピールする商品を作ったら複雑になりすぎるのです。もはや、「何でもできる」は時代遅れで、作り手には「誰が」「何に」使うかを明確に意識することこそが求められています。

 さらに言えば、別に作り手の数が多いからと言って、機能ばかり多くて魂がないものが生まれるとは限りません。明確なターゲットさえ描けていれば、Wiiのようなものだって生まれます。

けれども、Wiiのデザインにおいては、社内の若いデザイナーを集めて、さまざま意見を吸い上げることにしました。もちろん、それでいまの形がすんなり完成したかというとそうではないわけですが……。

『社長が訊く Wii プロジェクト - Vol.1 Wii ハード編』任天堂


 このように、Wiiのデザインには多くの人が携わっていますが、完成品は驚くほどシンプルで個性的です。したがって、デザインに関わる人が多ければ多いほど駄目になるという法則は成立しません。

Trackback0
Comment0
PageTop
前回:「18歳成人」に賛成1(前提)

 前回、16歳以上でなくては「成人」に必要な条件を満たさない、と結論付けました。今回はそのなかで、なぜ「18歳」を成人とするのかについて記述します。

 ところで、最初の記事で書き忘れましたが、この成人年齢考察は18歳〜20歳の範囲の年齢条項がある法令を、18歳で統一するという前提で論じています。またそれ以外でも、結婚可能年齢については男女平等の観点から両性ともに18歳とするべきです。つまり、大人と子供の境界を定めていると考えられる年齢条項は一律18歳にしたほうが良いという意見です。そのように年齢条項を統一することで、権利と義務の関係をより明確にできると考えています。

 さて、「18歳成人」とする理由について説明するにあたり、いまの成人が20歳と定められた理由から考えていきたいと思います。ただ、これについては、民法制定が1896年ということもあって、断定できるほどの情報はありませんでした。しかしながら、「20歳成人」には徴兵制度が関連しているというのは確かなようです。

フランス 20歳〜40歳兵役
オーストリア 20歳で徴兵
ドイツ 20歳で徴兵
ロシア(17歳以上志願可) 21歳で徴兵(20歳とする別データあり)
イタリア(17歳以上志願可) 21歳で徴兵(20歳とする別データあり)
ベルギー 20歳
オランダ 20歳(常備兵となる者)
ポルトガル 20歳
ノルウエイ 21歳
スイス   20歳
トルコ   20歳(1870年の軍制改革で20歳になったようです)
『 Ans.Q 質問一覧』War Birds


 このように、20歳を徴兵年齢とした国が多いです。仏独はこの年齢を基準として21歳という成人年齢を定めました。徴兵制度と市民権を結びつけようとする心情は理解できます。そして、当時欧州諸国を参考として政治運営していた明治政府もこれに合わせたのではないでしょうか。

当時(1870年代)のフランスやドイツの場合、徴兵年齢は20歳、成年年齢は21歳なのです。日本は仏独の制度を承知の上で、徴兵年齢20歳、成年年齢20歳を採用しています。考え方としては両者を一致させる日本式の方が素直です(ただし日本は選挙権年齢については25歳制を採用しますが)。
『 Ans.Q 質問一覧』War Birds


 しかし、肝心の「なぜ徴兵は20歳なのか」については分かりませんでした。もしかしたら明確な理由はないのかも知れません。つまり、ただ単に10の倍数で区切りが良かったから、ということなのではないかと思います。したがって、徴兵制度がなくなったいま20歳を成人とする理由はありません。

 では、徴兵制度の代わりに何を基準にするかですが、それはやはり卒業などの生活の区切りということになると思います。環境が変わる時期に合わせて成人とすれば、今のように大学生への酒・煙草の提供が片や合法、片や違法となる分かりづらいこともなくなります。そして、そのように卒業の時期を区切りとするならば、高校の卒業が最も有効です。なぜなら日本では高校進学者が96.4%(平成19年度『学校基本調査』文部科学省)と大多数を占めるからです。それに対し、16歳以上の進学で高校の次に該当者が多い大学は、51.2%(同)の進学率と大きく開きがあります。

 また、成人年齢はなるべく低いほうが良いと考えます。その理由は二つあり、一つ目は、選挙権年齢が引き下がれば、投票者の絶対数が増加してより民主主義的であるということ。二つ目は、18歳を成人とすることで、若者の成熟が促されるのではないかという期待です。ミルグラム実験監獄実験のように、「成人」という役目を与えれば、18歳でも成人らしく振舞うようになるのではないでしょうか。

 さらに、現在署名140カ国、締約193カ国となっている『児童の権利に関する条約』との整合性もあります。同条約では18歳未満の者を児童と定義し、保護の対象としています。

 以上より、「18歳成人」が最も合理的であると考えます。確かに、最近の成人式での騒ぎを見ると引き下げに抵抗があることも理解できますが、逮捕者数を見ればあれは成人のごく一部にすぎないと言えます。米や英独などで18歳が成人とされていても問題が起こっていないことを考えれば、日本で実施した場合も特に混乱はないでしょう。

 ところで、朝日新聞が国民投票法について『国民投票法は、与党が民主党など野党の反対を押し切って採決。この過程で「玉虫色」の付則が付けられた経緯がある』と述べているのですが、

 日本国民で年齢満十八歳以上の者は、国民投票の投票権を有する
『日本国憲法の改正手続きに関する法律 第三条』

 国は、この法律が施行されるまでの間に、年齢満十八年以上満二十年未満の者が国政選挙に参加することができること等となるよう、選挙権を有する者の年齢を定める公職選挙法、成年年齢を定める民法(明治二十九年法律第八十九号)その他の法令の規定について検討を加え、必要な法制上の措置を講ずるものとする。
『日本国憲法の改正手続きに関する法律 附則第三条一項』


という条文は、「玉虫色」などではなく、かなり「18歳成人」寄りだと感じます。これは法律の条文ですので、一般的な文章と解釈の基準が異なる可能性がありますが、『できること等となるよう 〜 措置を講ずる』という書き方は、本当に朝日新聞の記述どおり『玉虫色』という理解で正しいのでしょうか。

Trackback0
Comment0
PageTop
 まなめ氏の『あなたのサイトは動いていますか?』に触発されて、ブログのテンプレートを少しいじってみました。

 上の記事で気になったのが『Another HTML-lint gateway』というHTML文書の文法をチェックしてくれるサイト。さっそく使ってみましたが非常に便利です。HTMLに詳しくない人でも、これを使えばまずい箇所が簡単に分かります。HTMLの知識が乏しく、『Another HTML-lint gateway』以外の基準で判断できないため断言はできませんが、ここと「HTMLリファレンス」などを参考にすれば知識がなくてもおおむね正しいHTMLが作成できると思われます。

 ちなみに、このブログは最初の採点で「-90点」でした。FC2公式テンプレートなのにマイナス得点というのが驚きですが、どうやらブログのシステムがXHTMLの文法で記事を生成するのに対して、HTMLでDOCTYPE宣言していたのが大減点に繋がったようです。修正はここを参考にしました。これ以外にもいろいろまずい点があって結構な修正になったので、手直しついでに「Benri-Navi」というFC2プラグインを取り入れました。トップの記事の上に表示されている「最新の記事」はこのプラグインによるものです。非常に便利で気に入っています。

 『Another HTML-lint gateway』が便利だったので、ほかにも何かないか探してみたところ「W3C CSS 検証サービス」というのがありました。こちらではスタイルシートをチェックできます。

 HTMLとCSSをチェックしたら、最後に「ダウンロード時間測定」でそのページの重さを確認しておくと良いかも知れません。これで読み込みが遅くて、閲覧者に不便を強いていないかどうかが分かります。文法のチェックと併せて行えば、デザインやコンテンツ以外の部分はとりあえず及第点として良いのではないでしょうか。

 以上のように修正を行った結果、HTMLチェックでは何とか60点台までもってこれました。60点というと微妙な印象ですが、まなめはうすでも「-281点」なので勘弁してください。

Trackback0
Comment0
PageTop
 最近なかなか眠気がとれず困っていたところ、はてブの人気記事に、

耳栓とアイマスクをしながら眠ると、睡眠時間は短くなります。3時間くらいの睡眠で、仕事に行っても普通に働くことが出来る。
『本当に睡眠時間を短くする方法』ノッフ!


という記事があり興味を惹かれました。ただ、この方法について、経験則では効果がありそうに思えるのですが、記事は素人が理屈を説明しているだけなので心許ない。実際に有効かどうかは試せばすぐに分かることではありますが、道具を買ってきたのに効果なし、という事態はなるべく避けたいです。

 そのような理由から医学的根拠を探していて見つけたのが、下記の睡眠実験の模様を紹介したページです。

医学的見地から、「睡眠」の条件について、大分市府内町「馬場政宏クリニック」の馬場先生に伺った。その結果、要は、脳にある「眠りへ誘う中枢」の働きを妨げる、光、音(騒音)、痛み、感情といった刺激を遮断するのがまず必要とのこと。光は、遮光カーテンやアイマスクで防ぎ、音は、無音もいいが、脳が安静状態時に発する脳波α波を導く「α波ミュージック」を聞くのも良いとのこと。以上、神経医学的見地からのアドバイスを頂いた
『脱・不眠!れじゃぐる的快眠法』れじゃぐるテレビ


 このように「光はアイマスクで防ぎ、音は無音も良い」と医師が認めているので、快眠効果については医学的根拠があると考えて良さそうです。しかし「ノッフ!」の『3時間くらいの睡眠で、仕事に行っても普通に働くことが出来る』の『3時間』の部分については根拠が不明でした。「ノッフ!」にも数字の根拠が示されていませんので、この部分は個人の体験談にすぎず、万人に通じるものではないのでしょう。

 ちなみに快眠と短眠が関係していることについては、

眠りの総量は、この眠りの深さと時間の乗によって決まるといわれ、多少睡眠時間が短くても、眠りが深ければ「たっぷり眠った」ことになるのです。
『質のいい睡眠を手に入れる』healthクリニック


というのが通説のようです。

 以上より、『ノッフ!』の方法である程度の快眠と短眠が期待できそうだと判断し、実行してみることにします。効果については追ってブログで報告します。

Trackback0
Comment0
PageTop
 まず、成人の定義を確認します。

せいじん 0 【成人】
(名)スル
(1)心身ともに成長して、一人前の人間になること。また、その人。
「子供は皆―して家を出た」
(2)成年に達すること。また、その人。現代日本では満二〇歳以上の男女をいう。

せいねん 0 【成年】
人の知能・身体が成育発達して一人前の人として認められる年齢。また、単独で法律行為をなしうる年齢。現行法では満二〇歳。ただし、未成年者でも結婚すれば成年とみなされる。また、天皇・皇太子・皇太孫の成年は満一八歳。
「―に達する」
『大辞林 第二版』三省堂


 『単独で法律行為をなしうる』というのはこの場合「行為能力」があると同義だと考えます。

行為能力 こういのうりょく
自分が行なった法律行為の効果を確定的に自分に帰属させる能力のこと。 法律行為を有効に行なうには意思能力を持つことが必要とされているが、(引用者中略)正常かつ完成された精神能力を持たない者を画一的に「行為能力が制限された者」(=制限能力者)として取り扱い、こうした者を保護している。(引用者中略)制限能力者とされているのは、未成年者、成年被後見人、被保佐人、被補助人である。
『不動産投資用語集』株式投資/不動産投資の¥塾


 成人年齢については変数として考察している最中なので、あとは「意思能力」を持っていれば「行為能力」があるとみなして良いことになります。「意思能力」とは「事理を弁識する能力」(民法第7条)です。そして、物事の道理をわきまえ知るには、原則として『知能が成育発達』していれば十分です。

 以上より、『人の知能・身体が成育発達』していれば「成人」としての資格は十分といえます。

 続いて、それを踏まえて成人の年齢範囲について検討します。まずは、身体の成育発達についてですが、

医学的には、成人は小児に対する概念であり、やはり年齢を基準として区別するが、法的な定義よりは若く15歳程度からを成人として扱うことが多い。これは第二次性徴を迎えれば、肉体的には成人するからである。動物の「成人」は、肉体的な成熟のみで判断する。
『成年』wikipedia

「小児は単に成人の体を小さくしたものではない。異なる最も重要な点は小児は絶えず成長し発達していることである」(引用者中略)小児科の対象年齢は日本では一般に新生児から中学生までとなっています。法律や健康保険上の規定はなく、学問的には前述のような裏付けがありますが、年齢について特に厳しい定義はありません。
『小児科の対象年齢は?』新潟市医師会


より、第二次性徴を迎えた15歳以上であれば、肉体的に成人であるといえそうです。

 次に、知能の成育発達について考えるわけですが、これはどの程度を十分とするのかが難しいです。日本人全体の共通基準となり得るのは義務教育課程でしょうか。

義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
『教育基本法 第5条2項』

(ところで、この条文の「資質」という単語に違和感があります。辞書(広辞苑第五版、大辞林第二版)だと『生まれつきの性質や才能』と出てしまいます。条文と一般的な文章ではこの単語の定義が異なるのでしょうか)

とあるので、義務教育を修了していない者を成人とするのは不適切です。また、ここで『基礎』『基本』といった言葉が使われていることに注意する必要があります。

きほん 0 【基本】
物事が成り立つためのよりどころとなるおおもと。基礎。
「政策の―」「―を学ぶ」
『大辞林 第二版』三省堂


ですので、義務教育を卒業した時点では『国家及び社会の形成者として必要とされる資質
』はまだ成り立っておらず、不十分だといえます。したがって、「成人」となるためには「15歳を超えて」いなくてはなりません。

続き:「18歳成人」に賛成2(主張)

Trackback0
Comment0
PageTop
前回:「一側面」ではなく「不自然」1

とりあえず格好が付くと思っているのならば、それこそコメントの評価に対する「敷居が低い」のでは。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 まなめ氏の文章は、「ポジコメよりもネガコメの方が数が多い」という前提になっていますので問題ありません。

「まなめ氏」による「コメントの敷居を下げれば良いという提案」と、そのためには「『はてなブックマーク』をもっと普及すべき」という「結論」に「異論は ありません」との事ですが、「敷居を下げ」るほど、下らない悪口だって気軽に書き込めることになりますので、逆だと思いますねえ。匿名なんかも「コメントのしやすさ」のひとつでしょう? そもそも、あなた自身が「ポジコメと比較してネガコメは書きやすく動機も強い」と仰っていたではありませんか。ならば、ますますネガコメが増えるとなるのが理屈ですよねえ? ポジコメは「書きづらく動機も弱いので」その障害を減らせば、という論旨なのでしょうが、一側面しか見ていないのは明らかです。ネガコメをブロックする施策を同時に儲けない限り逆効果となる、と考えるのがより自然ではないしょうか。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 まなめ氏の文章は「ポジコメを受け取ることができれば、ネガコメの数が多くても耐えられる」特定の人物を対象にしたものなので(追記※1)、『一側面しか見ていない』とするのは適切ではありません。そのような人物に対して、ネガコメの数も同時に増えるのは承知で、ポジコメの絶対数を増やす方策を提案しているのです。

 いままでのやりとりで、まなめ氏の記事とそれを擁護した元記事の記述に、いくつか無理があるのが明らかになりました。しかしそれによって、まなめ氏の『ポジティブな意見を受け取れるように、はてブへの敷居を低くすれば良い』という主張が無効にはなりません。なぜなら、『ポジコメは「書きづらく動機も弱いので」その障害を減らせば』その絶対数が増加する、という主張の根拠の部分が破綻していないからです。

 しかしながら、なぜitoshiki氏が上のように書くのか落ち着いて考えたとき、まなめ氏の前提は無理があるかも知れないとも感じました。ネガコメが溢れても、そこからわずかなポジコメを探し出し、モチベーションとすることのできる人物がどれだけいるでしょうか。それができるほど成熟した人物ならば、そもそもネガコメに振り回されることもないとも考えられます。Itoshiki氏の『ネガコメをブロックする施策を同時に儲けない限り逆効果となる』というのは、そのあたりの前提の「不自然」さから出た指摘かも知れません。

 以上より、まなめ氏の主張に矛盾はないが、対象は非常に限られており、机上の空論に近い可能性がある。あたりが落とし所ではないでしょうか。なにか主張が当初と変わってしまい申し訳ありません。

 ネガコメの減らし方についてはこの記事も参考になります。

追記※1:

だから、ネガコメを受け取りたくないという考えは諦めてください。
ネット上に記事を公開している時点で諦めてください。
だったら少しでもネガコメに押しつぶされないように
ポジティブな意見を受け取れるようにするのが良いのです。
要するに、はてブへの敷居を低くすれば良いのです。

はてブネガコメを嫌がるアナタへたったひとつのアドバイス』304 Not Modified


 これは、ネガコメがつくことに関して諦めがつく人のみが実践できる提案です。ネガコメがいくらついても我慢して、ポジコメの獲得機会を増やす。「ポジコメを受け取ることができれば、ネガコメの数が多くても耐えられる」ような人物のみに通用する理屈です。仮に、はてブでコメントしやすくしてもネガコメがつかない記事を量産できるとしたら、はてブ採用以前にそもそもネガコメがつかず悩みません。したがって、この文章は上記の条件を満たす対象のみに向けて書かれた提案なのではないでしょうか。そうでないと意味をなしません。

Trackback1
Comment0
PageTop
 『ネガコメ関連記事について』に対して、itoshiki氏から返答がありました。その内容は概ね妥当といえるものですので、以下に紹介していきます。ただし、主張部分についてはすれ違いがあり、またこちらの考え方が変わった部分もあります。それについては『「一側面」ではなく「不自然」2』に記述しました。

私は「『はてブへの敷居』というのが具体的に何なのかが説明されていません」と書いたんですよ? ネガコメについての議論ですから、「はてブへの敷居」が「コメントへの敷居という意味である」との理解は必ずしも間違いではないと思いますが、正確とは言 えないでしょ。コメントする以前に、はてブを使用する事自体に「敷居」があると読むことも出来るではありませんか。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 これは確かにitoshiki氏のいう通りだと思います。「コメントへの敷居という意味である」と解釈はできても、まなめ氏の記事にそういった記述がないので断定することができないはずでした。はてな入会手続きが「敷居」である可能性もあります。

「コメントへの敷居という意味である」ということを受け入れてさえ、今度はその「敷居」とは何なのかが気になってきます。まなめ氏もあなたも、しきりに 「敷居」「敷居」と繰り返しますが、一体なんなんですか、それ? なんとなくコメントしやすいしにくいというイメージだけで雰囲気的に言葉を使っていませ んか?と言いたいのですよ。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 これは「動機の強さ」と「書くこと自体の難易度」と考えていました。元記事のはじめにポジコメとネガコメについて記述したのは、「敷居」を定義するためです。しかし、説明不足でした。もっと分かりやすく、「敷居とは」すなわち「動機が、」「難易度が、」と書くべきでした。

本当はポジコメだってそれなりの量があるかもしれないじゃないですか。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 これもまっとうな反応だと思います。十分に普遍性の高い「視聴者の投稿内容の内訳データ」が見つけられなかった時点で、反論をあきらめるべきでした。元記事の記述では説得に足る根拠を示せていません。

なぜポジコメを「執筆者の意見をなぞるだけ」の「単なる賛同」に限定してしまうのか分りません。「執筆者の意見を」より深く発展させていくコメントだって ある筈でしょう? 更には「執筆者の意見を」否定した上で何か新しい視点を提供してくれるものだってあるのではないでしょうか。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 前者は「補足」という言葉に含めたつもりでしたが、言葉の意味を広く捉えすぎていたようです。元記事の文章を『発展させるためには執筆者の上をいく必要がある』とするべきでした。また、

『執筆者の言及以外にも、こういう事例だってあるぜ」的に知識を披露して自己満足を得ることも容易ですから「動機も弱い」なんてことはないと思うのですが。』

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


に関しては、完璧に元記事の文章がおかしかったです。『動機が弱い』のは『あってもなくても変わ』らなく、「他人が書いても応援効果は一緒」という点のみにかかり、『書きづらい』はそれ以外にかかります。なので、「通常は書く内容がなく」、また「発展させるのは執筆者の上を行く必要がある」から、難しいと言いたかったのです。

「適当に中傷するだけ」の「ネガティブなコメント」なんか、ひたすら「格好」悪いですよねえ。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 例えば、同じ文章を読んだ感想として、「こいつ白痴っぽいよねw」といった人物と、「この人頭いいなぁ」といった人物がいた場合、前者のほうが格好がついているように思います。この一言のみで判断すれば、馬鹿にした人が相対的に一番上に見えるからです。しかし『評価能力』がある人ならば、確かに反対に解釈する気がします。元記事は断定するには説明不足だったかも知れません。

続き:「一側面」ではなく「不自然」2

Trackback0
Comment0
PageTop
前回:ネガコメ関連記事について1

 前回紹介したまなめ氏の記事に対する反論として、itoshiki氏が下記のように反論していました。気になったので再反論してみます。

 「はてブへの敷居」というのが具体的に何なのかが説明されていませんし、その敷居を低くする方法についても、「はてなダイアリーじゃない人」が「記事の最 後にはてブへ追加するような誘導」する事が提案されているだけで、はてなダイアリーな人はどうすれば良いのかは語られていません。
ネガだろうがポジだろうがどうでもよい


 前述のように「はてブ」はコメントしやすい場所の例であり、「はてブへの敷居」とは、すなわちコメントへの敷居という意味であるのは明らかです。したがって、「はてなダイアリーな人」ははてブのコメント以上にポジ(コメ)の敷居が低い「はてなスター」などを設置すれば良い、ということだと思います。

 確かに手紙一般は他の手段に比べて敷居が高いとしても、だからといって「大半はネガティブな意見」とは限らないでしょう。そう主張するならデータを提示するか、もう少し説得力のある例証を示さないと。
ネガだろうがポジだろうがどうでもよい


 まず、「ブログのコメント」でネガコメの数が勝るので、それより敷居の高い手紙一般では、さらにネガコメの数が勝ると考えるのが自然なのではないでしょうか。次に、TVで抗議の電話で回線がパンクしたというニュースがしばしば流れるのに対して、賛同意見が多くて話題になるケースは少ないと思います。ここからも、視聴者の意見はネガコメが多いといえるのではないでしょうか。ポジコメも十分多いという反論のデータもしくは例証を挙げてください。

 私に言わせて頂ければ、このようなド素人の曖昧な印象論が何の苦労もなく全世界に発信できてしまうようになったことこそが「敷居が下がった」ということに他なりません。それはインターネットの特性であり、Web2.0やはてブとは関係ありません。
ネガだろうがポジだろうがどうでもよい


 ここでいう「敷居」は文章発表の場としての大きな枠組みの話であり、まなめ氏のいうコメント発表の場の「敷居」とは区別する必要があると思います。しかし、どちらの意味にせよ、敷居低下にはWeb2.0やはてブは十分寄与していると考えます。Web2.0の定義が曖昧ですが、ブログは含まれるはずです。現在、ネット上の文章発表のかなりの割合をブログが占めています。ここも、関係ないと断ずる根拠を具体的にお願いします。

 また、最後にitoshiki氏が『面白いかどうかが問題』という主観の評価を推奨しておきながら、そのあとに『感想文などに価値はない』としているのも分かりません。その感想文を面白いと思う人もいるのではないでしょうか。

 ブログをはじめたはいいものの何を書いてよいのか分からず、面白いと思った人様の文章を題材にしてしまいました。失礼だったかも知れません。

Trackback0
Comment0
PageTop
(この記事は後から2つに分割しました)

 ポジティブなコメントは記事に影響を与えません。ポジコメは、補足した場合を除き執筆者の意見をなぞるだけで、あってもなくても変わりません。そして、単なる賛同では内容がないので、陳腐になりがちで書きづらい。執筆者への応援効果は期待できますが、他人が書いても一緒ですから、あえて自分が書く理由にはなりにくいと思います。また、補足については、補足するためには執筆者の上をいく必要があるので難しいです。以上のように、書きづらく動機も弱いのでポジコメの数は少ないのではないでしょうか。
 
 しかし、ネガティブなコメントは違います。まず適当に中傷するだけでも格好がつきますし、正しい記事に補足するよりは、間違いの記事を探して反論するほうが容易です。自分のコメントによって、執筆者の訂正や謝罪など反応を起こすことも期待できます。それができれば、他人にも評価されます。したがって、ポジコメと比較してネガコメは書きやすく動機も強いといえます。

 以上のように、表に出づらいポジコメを引き出すにはどうしたら良いか。『はてブネガコメを嫌がるアナタへたったひとつのアドバイス』で、まなめ氏はコメントの敷居を下げれば良いという提案をしています。動機が弱かったり、内容にこだわらなくても書けるくらいハードルが低ければ良いというわけです。そして、コメントの敷居を下げるために「はてなブックマーク」をもっと普及すべき、と結論付けています。

 これに異論はありません。はてブでのコメントはあくまでブックマークのおまけなので、内容にこだわる必要がありません。さらに、ブックマークのついでというのは書くきっかけにもなるからです。もちろん、まなめ氏は一例として「はてブ」を挙げたのであって、ブログにコメントしやすい場であればどこでも構わないと思われます。

追記:FC2からココログへのTBは弾かれてしまうようです。

続き:ネガコメ関連記事について2

Trackback1
Comment0
PageTop
 「あらたにす」使ってみました。あらたにすでは、朝日・日経・読売の三紙の一面・社会面・社説などが一つのページにまとめられていて、比較しやすくなっています。また、編集局のコメントは簡潔で記事を読む気力がないときに便利。注目テーマも、問題の概要をつかむのに重宝しそうです。
080210.jpg
 ただ、現状の各紙のリンクが中心という構成は芸がないと思います。これでは既存のニュース自動収集サービスと変わりません。せっかく大手三紙共同の先進的な試みなのですから、並べるだけでなく競争して新しいものを生み出して欲しい。他社の記事に対する反論も見てみたいです。

Trackback0
Comment0
PageTop
 本音チェッカーを使ってみました。

 愛され日本
080209a.jpg
 洞爺湖サミットも安心

080209b.jpg

Trackback0
Comment0
PageTop
 明日から中国の旧正月です。旧と付いていても、中国をはじめ東洋では最も重要といってよい祝祭日だそう。しかし旧正月の日程は、日本の正月とは違い、グレゴリオ暦の1月22日から2月19日の間で毎年変動するらしいです(wikipedia)。正月が毎年変わるというのは不思議で面白いと思います。なんだか落ち着かなそうです。
080207.jpg
 なぜ旧正月について書いたかですが、旧正月をよく知らなかったせいで、少し予定が狂ったためです。毎年動く正月なんて反則だと思います。

Trackback0
Comment0
PageTop
 銀行で口座を開いたら、綺麗なノートと付箋をいただきました。イメージカラーが好きという理由で、この銀行を選んだので嬉しいです。緑と黄緑の幾何学模様はとても好み。
080206.jpg
 「おはじめ」の金額如何では何も渡されないという噂を聞いていましたが、関係ないようです。大金をいれたら違うものになる可能性は否定できませんが、千円しか入れられなくとも、とりあえずノートはもらえます。

Trackback0
Comment0
PageTop
 ノートPC売りました。半年ほどの付き合いでしたが、ときどき妙な高周波音を発すること以外問題ない働きぶりでした。これからは非常用だったデスクトップPCがメインになります。しかし、このデスクトップは配線が邪魔くさいこと、場所をとること、音がうるさいことからあまり好きではありません。
080205.jpg
 ただ、ノートのVistaは管理者権限うんぬんが過剰で使いづらかったので、デスクトップに入っているXPが使えるというのは、ちょっと嬉しい。ダウングレードなんて選択肢はあり得ません。売ったノートはパナソニックの「CF-W5AW」です。去年の初夏に20万円ほどで購入し、先日10万円での売却でした。売った理由は「生活に困ったから」。

Trackback0
Comment0
PageTop
 昨日は節分だったんだ。さっきようやく気付きました。節分といえば、豆撒きがメジャーでしたが、最近は巻き寿司を食べる「恵方巻」もよく耳にします。どうやらコンビニの販促によって人気が出たようです(wikipedia)。オニギリの仲間ですから、コンビニとしても売りやすいのかも知れません。
080204.jpg
 「恵方巻」で、巻き寿司を使うのは「福を巻き込む」から、それをまるごと食べるのは「縁を切らないために包丁を入れない」という、ゲン担ぎだそう(iimiyazaki.com)。
 昨日は節分だと知らなかったので、揚げ出し豆腐を切り分けて食べてしまいました。バチが当たったらどうしよう。

Trackback0
Comment0
PageTop
 東京では雪が降り始めました。雪が降ると東京の景色も、いつもより綺麗に感じられます。景色に統一感が生まれるからでしょうか。色彩に統一感があると見栄えが良いというのは、服や家具などでは良く言われることです。雪によって、景色全体に白いフィルターがかかり、その結果、美しく見えるのかも知れません。
080203.jpg
 奴のあの散らかった部屋にも雪が降ればいいのに。なんちゃって。

Trackback0
Comment0
PageTop
 最近ガムをよく噛みます。選ぶのはもっぱら、味が長持ちすると評判のクロレッツやリカルデント。このまえ、どうしようもなく暇なときにラベルを眺めていて気付いたのですが、どちらも同じキャバドリー・ジャパン製なんですね。
080203.jpg
 ガムは意外と難しい食べ物です。まず、噛み始める場所選びが難しい。最初のひと噛みの匂いは強烈です。駅のホームなどで噛み始めると、「この人ミントくさい…」と白い目で見られてしまいます。そして、出すタイミングも難しい。口から物を出す姿は、あまり人に見られたいものではありません。他にも、噛みながら飲み物を飲もうとしてガムまで飲んでしまうとか、様々な問題が起こります。ガムを噛むときは細心の注意を払いましょう。

Trackback0
Comment2
PageTop