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 via:努力しても決して幸せになれない理由

 幸福の相対化が、幸せを感じることを困難にしているという主張は理解できます。競争によって他者より優位に立つことで幸せを感じる。そういう面は確かにあるでしょう。ただし、何もその優位性が、経済的な裕福さによるものでなくても良いのではないでしょうか。

 例えば、学者や芸術家は金銭とは別の優位性を求めていると思います。経済的に豊かになることだけが幸せの条件ならば、誰もこれらの職業には就きません。もちろん、その難易度から多額の報酬を得られる場合もありますが、それは特殊な例であって、確実に金銭を儲けたいなら他の選択肢を選んだはずです。彼らは経済的豊かさとは別の評価軸を持っているといえます。

 また、優位性は何も他人に対してだけ生まれるものではありません。努力によって、過去の自分より相対的に上位になることで満足感を得る。過去の自分を敗者にすることで幸せを感じることも可能です。内面の競争であれば、他人を敗者にする必要性はなくなります。

 確かに、人間の生活の中で資産は重要な要素です。しかし、衣食住に不自由しない程度の資産があるならば、それ以上を求めるかどうかは個々の価値観によると思います。資産で他人より優位に立てそうなら、金稼ぎに精を出して幸せになれば良いし、それが無理若しくは性に合わないのなら、他の部分で優位に立てるよう競争すれば良いのです。

 どこまで上位にあれば幸せを感じられるかは個人により違うはずですが、いかなる分野、人間関係においても幸せを見出せそうもないような人物は、そもそも幸福追求の方向性が間違っています。そのような人物には、現実的な方向に修正するという努力が必要でしょう。日本のごく一般的な家庭に生まれておいて、絶対に幸せになれないなどと考えるのは視野が狭すぎると言わざるを得ません。

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 著作物をコピーする際、自動的に著作権使用料が課金されるシステム(参考)が開発されたそうです。これが実用化されれば、使用料の取り逃しがなくなり作成者側の報酬が確保できるので、産業保護に役立つかも知れません。プライバシーの問題は残されているようですが、試作としては十分に評価できると思います。

 しかし、このシステムの根本的な部分に対しての反論もあるようです。

 「著作権使用料」に縛られて、自分のコンテンツ利用の自由さが奪われるのも納得がいかない。(中略)「コピー機での著作権使用料課金システム」が導入されたと仮定しよう。(中略)複製時に発生する著作権使用料で、コンテンツ制作者の報酬は保証され、現状より良いものになるのだろうか? 私には、そうは思えない。
『みんな、「著作権」大好きすぎやしないか…!?』日々、広告。


 反論の要旨は、著作権管理を強化しても著作物の売り上げは現状以上にはならず、ただ利用者のコンテンツ利用を不自由にするだけである、というものです。

 さらに、コピーと購入の関係について、以下ように論じています。

ひとは自分が欲しいものは、何があっても買う。だからこそiTMSをはじめ音楽のネット配信が普及し、それ以上に違法DLの環境が整ってしまっている現在でも、やはりCDは無くならないし、それなりに売れる。(引用者中略)真の意味での「売り上げ」に近づいただけに過ぎない。(中略)

コンテンツのデジタル化が進み、インフラも整備され、カンタンに良質な複製ができるようになった今、ユーザーにとっては、本当に欲しいもの以外はコピーで十分なのだ。これはもう変えられない事実として存在している。そこで、やっきになって「著作権保護」やら「違法コピー禁止」なんて言うのはナンセンスだし、むしろ大きな「リスク」をわざわざ背負いにいっているとしか思えない。

私が考える「リスク」とは、著作権保護のためのコピー規制によりコンテンツの流通路が閉塞し、情報網が分断化され、結果的には社会のイノベーションを抑制してしまうのではないかという懸念である。
『みんな、「著作権」大好きすぎやしないか…!?』日々、広告。


 どうもこれでは納得がいきません。『コピーで十分』とするのなら、コピーに著作権使用料を課金するシステムはやはり有益ではないでしょうか。上記の文章の後に図書館の例が出てきますが、事象を単純化しすぎているきらいがあります。

 また、例としてCDが無くならないことを挙げるのも不適当です。なぜなら、CDの売り上げは07年まで右肩下がりで減少し続けており(参考1)、まだ販売数への影響について結論を出す段階ではないからです。さらに、ネットの普及も過渡期であって(参考2)、普及が進めばCDがなくなる可能性もあり得ます。

 引用記事の反論は、消費者の利便性に重きを置きすぎた結果、根本的な問題を見失っていると思います。それは、誰がコンテンツを作るのかという問題です。何とか製作者側の報酬を確保して、産業の縮小・崩壊を防がなければ、『コンテンツの流通路』以前に、そこで流通させるコンテンツ自体が無くなっていくのです。それこそ『イノベーションを抑制』することになります。

 あるいは、それを淘汰とする見方もあるかも知れません。つまり、『真の意味での「売り上げ」』で生き残れるコンテンツのみが残っていけば、それで良いという考え方です。「真の売り上げ」とは恐らく、コレクションや長期利用目的での購入を指すことになると思います。しかし、多くの書籍はそんな目的の対象となり得るでしょうか。大抵が、図書館で借りるか、必要な部分をコピーして終わりだと思います。一個人にとって、必要な部分は数ページのみという書籍だって沢山あるのです。

 そのような、購入の少ない書籍の製作者にとって、コピーという収入源の増加は重要なことではないでしょうか。仮に、「真の売り上げ」を十分にもつ書籍のみが生き残る方向へとどんどん社会が進んでいけば、購入の少ない書籍の製作者は今以上に厳しい状況に陥るでしょう。そうして、書籍のパターンが限られることになれば、それはもはや淘汰などとは呼べない、文化の衰退だと思います。

 本当に重要なのは、制作者側が適正な収入を得られる仕組みを作ることです。コピー機の自動的課金システムのような著作権者への報酬手段の確保と、消費者の利便や管理団体の取り分は、また別の問題だと思います。

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話題になったのが「今の家電メーカー製デジタル家電って機能ありすぎてわかんないよね」という話で、先に書いたRSSリーダーの話にも通じる。

まったくもってその通りなんだが、じゃぁ「なぜ・どうしてそうなっちゃったの?」を紐解くと、わりとシュールな要因が浮かんでくる。

ズバリ言ってしまうと既存機能に上乗せする企画は通すのが簡単だし、リスクが少ないからだ。(中略)逆に削ることは、安定した大企業の会社員としてはものすごい勇気がいる。下手すりゃ前モデルで20%あったシェアが5%とかに落ちてしまう可能性も高い(後略)

『機能やボタンが多すぎ!! 使いにくいUIのデジタル家電が発売されてしまう本当の理由』キャズムを超えろ!


 機能を削ることで売れ行きが落ちるのはどういった場合でしょうか。それは恐らく、使用者が必要としていた機能を無くしてしまったときでしょう。削るべきでない機能を削って改悪してしまったわけです。

 それに対して、機能を増やすことが『売れない決定的理由にならない』のは、多少スイッチが増えても使用者は今までの使用方法を維持できるからです。増やした部分については使っても使わなくても構わないわけです。よって、はずれがなく、売れ行きが極端に落ちる要因になることない。そこに安心感を抱いた作り手が数打てば当たる戦略で機能を増やしたことが、今の複雑なUIを作った一因かも知れません。

 こういった罠にハマらないためには、色々とすべきこと・してはいけないことがあるが、たぶん最も強く意識すべきは「合議制では良いものは作れない」という法則。デザインに関わる人が多ければ多いほど、「いろいろな意見」が寄せられてしまい、「せっかく有意義な意見を出してもらったのだから」と次々に意見を取り入れているうちに、機能だけはたくさんあるけど魂が無くて妙に使いにくいものが出来てしまう。

『"Less is more"なもの作りと合議制と』Life is beautiful


 一人の顧客が使う機能は限られています。その顧客にとって、使わない機能は存在しない方がUIとしてはシンプルで使いやすいものになるでしょう。しかし、その製品の購入者は一人ではないので、作り手は様々な仕様者を想定して製品を作らなければなりません。その結果として、機能がどんどん増えていきます。ですから、機能を減らすためには、作り手が対象とする使用者を絞り込めば良いのです。

 無駄な機能を減らすために必要なのは、作り手を減らして一人のセンスに委ねることではなく、製品ターゲットの絞り込みです。技術が進歩し、従来に比べて様々なことが出来るようになりました。だからこそ、その技術で万人にアピールする商品を作ったら複雑になりすぎるのです。もはや、「何でもできる」は時代遅れで、作り手には「誰が」「何に」使うかを明確に意識することこそが求められています。

 さらに言えば、別に作り手の数が多いからと言って、機能ばかり多くて魂がないものが生まれるとは限りません。明確なターゲットさえ描けていれば、Wiiのようなものだって生まれます。

けれども、Wiiのデザインにおいては、社内の若いデザイナーを集めて、さまざま意見を吸い上げることにしました。もちろん、それでいまの形がすんなり完成したかというとそうではないわけですが……。

『社長が訊く Wii プロジェクト - Vol.1 Wii ハード編』任天堂


 このように、Wiiのデザインには多くの人が携わっていますが、完成品は驚くほどシンプルで個性的です。したがって、デザインに関わる人が多ければ多いほど駄目になるという法則は成立しません。

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 まなめ氏の『あなたのサイトは動いていますか?』に触発されて、ブログのテンプレートを少しいじってみました。

 上の記事で気になったのが『Another HTML-lint gateway』というHTML文書の文法をチェックしてくれるサイト。さっそく使ってみましたが非常に便利です。HTMLに詳しくない人でも、これを使えばまずい箇所が簡単に分かります。HTMLの知識が乏しく、『Another HTML-lint gateway』以外の基準で判断できないため断言はできませんが、ここと「HTMLリファレンス」などを参考にすれば知識がなくてもおおむね正しいHTMLが作成できると思われます。

 ちなみに、このブログは最初の採点で「-90点」でした。FC2公式テンプレートなのにマイナス得点というのが驚きですが、どうやらブログのシステムがXHTMLの文法で記事を生成するのに対して、HTMLでDOCTYPE宣言していたのが大減点に繋がったようです。修正はここを参考にしました。これ以外にもいろいろまずい点があって結構な修正になったので、手直しついでに「Benri-Navi」というFC2プラグインを取り入れました。トップの記事の上に表示されている「最新の記事」はこのプラグインによるものです。非常に便利で気に入っています。

 『Another HTML-lint gateway』が便利だったので、ほかにも何かないか探してみたところ「W3C CSS 検証サービス」というのがありました。こちらではスタイルシートをチェックできます。

 HTMLとCSSをチェックしたら、最後に「ダウンロード時間測定」でそのページの重さを確認しておくと良いかも知れません。これで読み込みが遅くて、閲覧者に不便を強いていないかどうかが分かります。文法のチェックと併せて行えば、デザインやコンテンツ以外の部分はとりあえず及第点として良いのではないでしょうか。

 以上のように修正を行った結果、HTMLチェックでは何とか60点台までもってこれました。60点というと微妙な印象ですが、まなめはうすでも「-281点」なので勘弁してください。

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 最近なかなか眠気がとれず困っていたところ、はてブの人気記事に、

耳栓とアイマスクをしながら眠ると、睡眠時間は短くなります。3時間くらいの睡眠で、仕事に行っても普通に働くことが出来る。
『本当に睡眠時間を短くする方法』ノッフ!


という記事があり興味を惹かれました。ただ、この方法について、経験則では効果がありそうに思えるのですが、記事は素人が理屈を説明しているだけなので心許ない。実際に有効かどうかは試せばすぐに分かることではありますが、道具を買ってきたのに効果なし、という事態はなるべく避けたいです。

 そのような理由から医学的根拠を探していて見つけたのが、下記の睡眠実験の模様を紹介したページです。

医学的見地から、「睡眠」の条件について、大分市府内町「馬場政宏クリニック」の馬場先生に伺った。その結果、要は、脳にある「眠りへ誘う中枢」の働きを妨げる、光、音(騒音)、痛み、感情といった刺激を遮断するのがまず必要とのこと。光は、遮光カーテンやアイマスクで防ぎ、音は、無音もいいが、脳が安静状態時に発する脳波α波を導く「α波ミュージック」を聞くのも良いとのこと。以上、神経医学的見地からのアドバイスを頂いた
『脱・不眠!れじゃぐる的快眠法』れじゃぐるテレビ


 このように「光はアイマスクで防ぎ、音は無音も良い」と医師が認めているので、快眠効果については医学的根拠があると考えて良さそうです。しかし「ノッフ!」の『3時間くらいの睡眠で、仕事に行っても普通に働くことが出来る』の『3時間』の部分については根拠が不明でした。「ノッフ!」にも数字の根拠が示されていませんので、この部分は個人の体験談にすぎず、万人に通じるものではないのでしょう。

 ちなみに快眠と短眠が関係していることについては、

眠りの総量は、この眠りの深さと時間の乗によって決まるといわれ、多少睡眠時間が短くても、眠りが深ければ「たっぷり眠った」ことになるのです。
『質のいい睡眠を手に入れる』healthクリニック


というのが通説のようです。

 以上より、『ノッフ!』の方法である程度の快眠と短眠が期待できそうだと判断し、実行してみることにします。効果については追ってブログで報告します。

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前回:「一側面」ではなく「不自然」1

とりあえず格好が付くと思っているのならば、それこそコメントの評価に対する「敷居が低い」のでは。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 まなめ氏の文章は、「ポジコメよりもネガコメの方が数が多い」という前提になっていますので問題ありません。

「まなめ氏」による「コメントの敷居を下げれば良いという提案」と、そのためには「『はてなブックマーク』をもっと普及すべき」という「結論」に「異論は ありません」との事ですが、「敷居を下げ」るほど、下らない悪口だって気軽に書き込めることになりますので、逆だと思いますねえ。匿名なんかも「コメントのしやすさ」のひとつでしょう? そもそも、あなた自身が「ポジコメと比較してネガコメは書きやすく動機も強い」と仰っていたではありませんか。ならば、ますますネガコメが増えるとなるのが理屈ですよねえ? ポジコメは「書きづらく動機も弱いので」その障害を減らせば、という論旨なのでしょうが、一側面しか見ていないのは明らかです。ネガコメをブロックする施策を同時に儲けない限り逆効果となる、と考えるのがより自然ではないしょうか。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 まなめ氏の文章は「ポジコメを受け取ることができれば、ネガコメの数が多くても耐えられる」特定の人物を対象にしたものなので(追記※1)、『一側面しか見ていない』とするのは適切ではありません。そのような人物に対して、ネガコメの数も同時に増えるのは承知で、ポジコメの絶対数を増やす方策を提案しているのです。

 いままでのやりとりで、まなめ氏の記事とそれを擁護した元記事の記述に、いくつか無理があるのが明らかになりました。しかしそれによって、まなめ氏の『ポジティブな意見を受け取れるように、はてブへの敷居を低くすれば良い』という主張が無効にはなりません。なぜなら、『ポジコメは「書きづらく動機も弱いので」その障害を減らせば』その絶対数が増加する、という主張の根拠の部分が破綻していないからです。

 しかしながら、なぜitoshiki氏が上のように書くのか落ち着いて考えたとき、まなめ氏の前提は無理があるかも知れないとも感じました。ネガコメが溢れても、そこからわずかなポジコメを探し出し、モチベーションとすることのできる人物がどれだけいるでしょうか。それができるほど成熟した人物ならば、そもそもネガコメに振り回されることもないとも考えられます。Itoshiki氏の『ネガコメをブロックする施策を同時に儲けない限り逆効果となる』というのは、そのあたりの前提の「不自然」さから出た指摘かも知れません。

 以上より、まなめ氏の主張に矛盾はないが、対象は非常に限られており、机上の空論に近い可能性がある。あたりが落とし所ではないでしょうか。なにか主張が当初と変わってしまい申し訳ありません。

 ネガコメの減らし方についてはこの記事も参考になります。

追記※1:

だから、ネガコメを受け取りたくないという考えは諦めてください。
ネット上に記事を公開している時点で諦めてください。
だったら少しでもネガコメに押しつぶされないように
ポジティブな意見を受け取れるようにするのが良いのです。
要するに、はてブへの敷居を低くすれば良いのです。

はてブネガコメを嫌がるアナタへたったひとつのアドバイス』304 Not Modified


 これは、ネガコメがつくことに関して諦めがつく人のみが実践できる提案です。ネガコメがいくらついても我慢して、ポジコメの獲得機会を増やす。「ポジコメを受け取ることができれば、ネガコメの数が多くても耐えられる」ような人物のみに通用する理屈です。仮に、はてブでコメントしやすくしてもネガコメがつかない記事を量産できるとしたら、はてブ採用以前にそもそもネガコメがつかず悩みません。したがって、この文章は上記の条件を満たす対象のみに向けて書かれた提案なのではないでしょうか。そうでないと意味をなしません。

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 『ネガコメ関連記事について』に対して、itoshiki氏から返答がありました。その内容は概ね妥当といえるものですので、以下に紹介していきます。ただし、主張部分についてはすれ違いがあり、またこちらの考え方が変わった部分もあります。それについては『「一側面」ではなく「不自然」2』に記述しました。

私は「『はてブへの敷居』というのが具体的に何なのかが説明されていません」と書いたんですよ? ネガコメについての議論ですから、「はてブへの敷居」が「コメントへの敷居という意味である」との理解は必ずしも間違いではないと思いますが、正確とは言 えないでしょ。コメントする以前に、はてブを使用する事自体に「敷居」があると読むことも出来るではありませんか。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 これは確かにitoshiki氏のいう通りだと思います。「コメントへの敷居という意味である」と解釈はできても、まなめ氏の記事にそういった記述がないので断定することができないはずでした。はてな入会手続きが「敷居」である可能性もあります。

「コメントへの敷居という意味である」ということを受け入れてさえ、今度はその「敷居」とは何なのかが気になってきます。まなめ氏もあなたも、しきりに 「敷居」「敷居」と繰り返しますが、一体なんなんですか、それ? なんとなくコメントしやすいしにくいというイメージだけで雰囲気的に言葉を使っていませ んか?と言いたいのですよ。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 これは「動機の強さ」と「書くこと自体の難易度」と考えていました。元記事のはじめにポジコメとネガコメについて記述したのは、「敷居」を定義するためです。しかし、説明不足でした。もっと分かりやすく、「敷居とは」すなわち「動機が、」「難易度が、」と書くべきでした。

本当はポジコメだってそれなりの量があるかもしれないじゃないですか。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 これもまっとうな反応だと思います。十分に普遍性の高い「視聴者の投稿内容の内訳データ」が見つけられなかった時点で、反論をあきらめるべきでした。元記事の記述では説得に足る根拠を示せていません。

なぜポジコメを「執筆者の意見をなぞるだけ」の「単なる賛同」に限定してしまうのか分りません。「執筆者の意見を」より深く発展させていくコメントだって ある筈でしょう? 更には「執筆者の意見を」否定した上で何か新しい視点を提供してくれるものだってあるのではないでしょうか。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 前者は「補足」という言葉に含めたつもりでしたが、言葉の意味を広く捉えすぎていたようです。元記事の文章を『発展させるためには執筆者の上をいく必要がある』とするべきでした。また、

『執筆者の言及以外にも、こういう事例だってあるぜ」的に知識を披露して自己満足を得ることも容易ですから「動機も弱い」なんてことはないと思うのですが。』

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


に関しては、完璧に元記事の文章がおかしかったです。『動機が弱い』のは『あってもなくても変わ』らなく、「他人が書いても応援効果は一緒」という点のみにかかり、『書きづらい』はそれ以外にかかります。なので、「通常は書く内容がなく」、また「発展させるのは執筆者の上を行く必要がある」から、難しいと言いたかったのです。

「適当に中傷するだけ」の「ネガティブなコメント」なんか、ひたすら「格好」悪いですよねえ。

『要するに、物事の一面しか見ずに、自説を論ずるに都合の良い事象だけ取り上げているから簡単に反論されるのですよ。』文化レベルが高すぎます


 例えば、同じ文章を読んだ感想として、「こいつ白痴っぽいよねw」といった人物と、「この人頭いいなぁ」といった人物がいた場合、前者のほうが格好がついているように思います。この一言のみで判断すれば、馬鹿にした人が相対的に一番上に見えるからです。しかし『評価能力』がある人ならば、確かに反対に解釈する気がします。元記事は断定するには説明不足だったかも知れません。

続き:「一側面」ではなく「不自然」2

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